いぶっこのブログ

作品と作者あとがき。

たぬきさん あるひとに変身してみたよ(リメイク版)

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【作者後記】

 

以前の作品「たぬきさんあるひとに変身してみたよ」のデザインと台詞まわしを少し変更しましたのでリメイク掲載いたします。

※1 作品の骨格とストーリーの大筋は変えていません。

※2 以前の作品記事は削除致しました。

 

今回の作者後記はリメイク前の記事内容を加筆させて頂きます。

(とはいえ私なりの考え方・捉え方でございますので訂正や修正は致しません)

 

 

 

ひょんなことから意外な展開に発展する。

 

これって、運がいい、だけじゃないような気がします。

 

というのも、この作品でいえば この二人が最終的にこうなったのは「いままでの経緯(ストーリー)が感情をともに、これまでいろいろあった」からこうなったわけで、

 

たぬきさんががおこなったのは結果的に きっかけづくりでしかないんですよね。

 

(たぬきさんがこれを意図的にやったかどうかは読者の皆様のご想像におまかせします)

 

(みていただける方々のそれぞれのご感性で捉えていただきたいですので、

あまりこの作品はこうだ、と解説的なことはしたくはないのですが)

 

本文(本作品ではない)に戻りますと、なにか自分の中で変えたいことがあっても変えられないときは、なにかのきっかけに頼っていいと私は思います。

 

自分から変えられる意志がないならよわいひとだ、とおもわれるかもしれませんが、

全員が全員、自ら変れるのであれば、三日坊主 という言葉は存在してないと思いますし、ひとはそんなに強い生き物でもない(かといってそんなに弱い生き物でもない)と私は思っております。

 

 

ただ、環境が変わると ひとは変われる(あるいは変わらざるをえない)ように、

 

本質的に自分から変われるひとは、

 

・相当強固な強い意志を持っているか、

 

・(良いも悪いも)自分にとって強烈な経験、体験を経たか、

 

・その先に強烈な目標、目的があるか、

 

・ひとに『強制』されることなく自らが心の底から誓った

(他人に強制されているあいだは変われている風ですが、強制されなくなったら、本心からその考えが自分に馴染む考えに至ってないと 元に戻りやすいとワタクシはおもいます)とか、

 

とまあ、これらは私の中だけかもしれませんが、私はそう考えます。

 

あるいは、

・全くなにも考えてないパターン(これはこれでフットワークがかるくなるというメリットはある)もありますが、

重要判断をする場合はリスクマネジメントはしておいたほうがいいですよね。

 

とまあ、もちろんそれだけでもなく、性格も関係していますし、やはりひとそれぞれかもしれませんが、

 

総じて私が記しておきたかったことは、

 

なにかのきっかけで変われるとしても、

変われる(なにかのチャンスをつかむ)のは、それまでのいろいろ過去や経験、それによるいろいろな喜怒哀楽、としての積み重ねが下地としてあったから、

だとおもいます。

(このことは本文冒頭でも記したように 本作品のバックボーンにも関連してますよね)

 

あと、これらのことは、なにかを「続けられる」ことにも共通していると思います。

 

(よろしければ、「変われる」として書いた箇条書きの箇所を「続けられる」として読み返していただければそうなるハズです)

 

楽しいから(楽しそうだから)、という動機もあるとは思いますが、これもひとそれぞれかもしれませんが、楽しいだけでは飽きがきたりもしますから・・・もちろんそれもアリだと思いますが このパターンはきっかけとしてはいいかもですね!

 

自らの意志で積極盛んに前向きに頑張れる方々は素晴らしいと思いますが、

ビビりで消極的な私自身としてはそれは不向きなので、きっかけを待ってるがためではく 目標を叶えられるため、日々のコツコツを 私なりに歩んでいくことに励んでいます。

 

皆様も皆様なりの「前向きななにか」を大切な日々より得ながら、充実した人生をお送りになりますように。

ことりさん 全身であらわすかげながらのメッセージ

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【作者後記】

 

ありがとうって、本当にいい言葉だと思います。

 

何ごとも感謝を伝えるのは大事ですし、

 

なにより、感謝の気持ちを伝えられると本当に気持ちがすこやかになります。

 

挨拶もそうですが、そういった気持ちを伝えるコミュニケーションって、本当に気持ちがいいものですよね。

 

こちらの作品では、アリガトウは言葉で表し、身体をつかって感謝を表現しているという作品です。

 

たべものをあたえ続けたおとな鳥さんは、雲に写った自身とことりさんの影をみてみて、きっと すこし照れながらもうれしいんじゃないでしょうか。

 

日頃から感謝を伝えたり、挨拶を交わすだけでも良い。

 

山や海など行くと、すれ違いに自然と挨拶交わしますよね。

 

ある意味特別なシチュエーションのもとで、共感し合えてるのだと思います。

 

特別な場所・特別なシチュエーションではなくとも、

共感(共に感じあえる気持ち)は、日々に埋もれがちだけど、日常にこそたくさんあると思います。

 

共に感じ合える気持ち、共になにかを感じ合おうとする気持ち、敬う気持ち、本当に大切なことだと思います。

 

そういった、心の通った、気持ちのいい 当たり前のコミュニケーションを忘れずに 日々過ごしていきたいものです。

うらないのやかたにて すなおなぱんださん

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【作者後記】

 

この作品の動きの無さは、ミスによるものではございません。

 

意味合いが違うのに、占い師の言葉の表面「だけ」を受け取ったぱんださんの動かない姿(すなおなぱんださんがいわれたとおりの言葉をそのままとらえてしまった)が作者の表現なのです。

 

会話の表面だけをとって、そのまま答えてしまうこと、ございませんか?

 

天然のワタクシはよくあります。

 

例を挙げると直近だけでも、

 

例えば、美容室の予約していた時間に車で遅れていって、美容師さんに髪を切っていただいている間(着いてだいぶ時間が経ってから)、

「今日は道 混んでる日っぽいね?」

 

とおっしゃられ、

 

「他のお客さん言ってました?やっぱりそうですか~。混んでると心に余裕なくなるから、そういうときほど冷静に運転しないと危険ですよね~」

 

と、聞かれたことをそのまま受け取って答えてしまう天然なワタクシ・・・

 

「今日は道路混んでる日っぽいね?」の真意は、美容師さんは、

[(遅くなったのは)なにかあったの?]

 

とワタクシを心配してくれていたのです。

 

後から思ったワタクシなりの正解の返答は、

「道はたしかに混んでましたが(←この事実がまず事実に基づく先入観)、急に用件が入りご連絡する間もなく遅れてしまいました。すみませんでした。」

になりますでしょうか(ちなみに入店時に遅れてすみませんとは申させていただいています)。

 

 

また、その話とは別件の例として、

(担当者さんがが度々入れ替わってきた経緯のある)会社の営業の方が会社からの電話で久々に手続きに訪ねてくるご連絡があったとき、

 

(度々入れ替わっているのだからまた違うかただろうとワタクシの先入観で電話してて、

先方さんが、「お尋ね先は○○の施設のお近くですよね?」とおっしゃったとき・・・

 

なんで気が付かないのだワタクシ・・・

 

住所は資料確認したんだと思い込んで、そのまま「そうですそうです」で終わらせようとしましたが、

 

その次の一声でハッとしました。

 

「あの、前回お訪ねさせて頂いた者です」と。

 

お名前を忘れていたこと、さっきの会話で気付かなきゃですね^^;

 

後から思ったワタクシなりの正解の返答は、

「前回も来て頂いていたかたですね。今まで気付かず申し訳ございません。どうもご無沙汰いたしております。またおっしゃる住所に来て頂けたらと思います。」

になりますでしょうか。

 

 

ワタクシが思う会話など意思疎通の基本は、

 

・自分の意志(思ってること)だけを一方的に話すと相手に伝わらず、相手がこの話題になにを求めているかを理解して話さないと会話のキャッチボールができない。

 

・言葉の受け取り方を頭を柔らかく構える。

 

・会話の大元になる話題のバックグラウンドの先入観をこちらの考えで決めつけない。

 

・気持ちを察するアンテナを張る。

 

ワタクシの場合、疲れていたり寝不足などで頭の回転が鈍く集中力が保てないとき、これらが特にできにくい傾向にあります。

 

例を挙げたとおり時にできない かくゆうワタクシ自身が先ず気を付けないといけませんが、意思疎通、ほんと大事ですね。

ゆうぐれでのきもち

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【作者後記】

 

やることなすこと なにをやってもツイてない日(期間)ってございませんか?

 

流れがわるいときって、あると思います。

 

そういうとき 皆様はどう対処されますか?

 

・嫌な気分を引きずらないように脳の上書き体験をする(普段と違ったことをやって少なくとも気分転換をはかる)。

 

・もしくは全く逆で、いまは行動すべきではないと行動自粛をする。行動するにしても注意深く行動する。

 

ひとそれぞれ、ひろいろな対処法があると思います。

 

ただ、そういうとき、他者に救われることもあると思います(この物語のように)。

 

他者依存し過ぎるのも主体性が損なわれるという側面であまりよくはないとワタクシ自身はおもっておりますが(あくまでワタクシの価値観でです)、

やはり、

尊敬できるかた、

できるだけ価値観のあうかた、

そばにいるだけでこころがぽっとあったかくなるようなかた♡、

などの存在は、居てくれるだけでありがたいものです。

 

それがためにではないですが、なにかあったときにはそういうかたは話をきいてくれるだけで救われます。

 

ひとりで頑張る、というかたを否定しているつもりはございません。

そういうスタイルが合うかたもいらっしゃるでしょうし、ワタクシもひとりになりたいときもあります。

 

ただ、これはワタクシの主観になりますが、

 

あなたがいるから頑張れる。

 

そう思うかたの存在はやはり偉大ですし、そう思われる存在になれるのにあこがれるワタクシでもございます ^ ^

ふくえらび うさぎさんおもう

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【作者後記】

誰かに何かを尋ねられたときや相談を受けたときは、どうしてもお答えするひとの主観は入ってしまうものですよね。

 

事象にもとづいたデータや統計データなどを参照にお答えすると説得力は増すとは思いますが、例えば9対1の割合のデータが出ていたとしても、1のかたはいらっしゃるということなので。

 

自分がどれほどこちらが正解だと思っていたとしても、性格や価値観や置かれた環境や立場等により、相手にとっては不正解になり得るものです。

 

ただ、やはり、ひとって、迷ったときはなにかにすがりたくなるものですし頼りたくなるもの・・

 

そういうときに、相手にとって不正解な答えを出したとしても、その問題にどう向き合って、真剣にお答えする姿勢があれば、少なくともそういった姿勢は評価されてもいいんじゃないかとワタクシ自身は思っております。

 

それだけ自分のために頭と時間をつかって考えてくれたのですからね。

 

ただ、ひとついうならば、もちろんそういう姿勢があれば相手にとっての不正解を出す確率は減るとはおもいますけどね^^;・・

 

この作品のケースをつっこむとすれば、

 

・尋ねられたことに対して、主観を、絶対という言葉をつかって推している

 

・しかも尋ねられたもの(ものごと)をよくみないで(考えないで)答えている

 

・どういうのもを望んでいる傾向か聞いてもなく、答えるまで対話をおこなってない

 

 

まあ、あまりにキチキチしていたら世知辛いので、ほどほどに、力を入れるとこと抜くとこのケースバイケースで、日々過ごしていきたいものです^^;

いたずらでびるとわなわなわな

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【作者後記】

 

今回はいたずらでびるというキャラクターが登場しました。

 

いたずらでびるはちいさないたずら好きなやんちゃ者ですが、

 

だれかを陥れようとしたら、こうなっちゃいますよ、という反面教師的なキャラクターでございます。

 

今回はぱんださんが見抜いて、穴に落ちちゃいました(ねこさんとうさぎさんは何事もなく)。

 

だれかを意図的に陥れることは絶対にやってはいけません。

 

心理を操り、陥れようとするひとも、世の中には居ます。

 

作者のワタクシは実際に自分が受けた経験や本で勉強して、いろいろな防衛方法を学んできましたが、

そういった経験や知識を元に、できるだけシンプルに、良い作品にできるよう反映できたらいいなと思っています。

 

今作は、そういった過去の事例や知識に基づいて制作したのではないですが、

良いことも悪いことも、誰かはみてるものだよ~

というのを比喩単純化して表現しました。

 

ワタクシ自身は何事も一生勉強だと思い日々日常を過ごしていますが、皆様方 どうか良き日々をお過ごしになられますように。

たまたまぱんださんとうさぎさん

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【作者後記】

 

思いがけず○○になってしまったこと、ございませんか?

 

ワタクシはこの作品のような経験はさすがにありませんが、人違いをよくしてしまいます。

 

この作品でいえば、最後が人違いだった・・・ということになりますが、いわずもがな、そうなると平謝りするしかございません。

 

あまりに間違うため 話しかけるのをためらったりもよくするのですが、慎重になりすぎて、無愛想な風に思われているかもしれません(それはそれでも構わないのですが)。

 

なんとなく、ですが、ワタクシの映像記憶力の無さはもちろん影響していると思うのですが、雰囲気を感じ取ったりすることも大事なんでしょうか?

 

何事もミスをゼロにすることはまあ不可能だとは思ってはいるのですが、方法があれば極力なんとかしたいですからね。

 

っというか、ホント、ナントカシタイ・・・^^;